ライブオンというアニメが終わって
自分の考えを整理するためにちゃんと感想を書かないとナーと思ってダラダラと今に至っている訳なのですが。でもまぁ相変わらず書けなくて、しかしこういう記事を今さっきがた読んだのでちょいと。
http://d.hatena.ne.jp/ashizu/20091015
『バシン』に話を戻せば、家庭から消えた父が、仮面をつけて子供の前に敵として現われるところなんかが、何かしら現代の問題を提示しているような気がするのだ。つまり、子供の前に子供の敵として立ちはだかるためには父は子供の幻想の世界に入ってこなければならない、ということである。ここが現代の困難ではないのか、という気がするのだ。
『バシン』において目指されていたのは、対立関係の存在しない、ある種、居心地のいい緩い共同体である。
自分は『ライブオン』を見てて『バシン』は見てないので、そうかー『バシン』も主人公の家庭から父親の影は居ないのかー(ライブオンもあたかも居なかったことにされてるかのように、主人公の家には父親が居ない)と思いつつ、やはり今玩具アニメで製作者側が描きたいことって「その玩具を使って繋がる友達の輪」なのねと、ライブオンまとめ日記で書きたかったことを改めて思い起こしたり。活動している同人ジャンルの都合上、『ボーイミーツモンスター』玩具アニメの基点を『魔神英雄伝ワタル』に起きたがる自分としては、『ワタル』でプラモデルという形でモンスターの偶像を提供していた玩具会社は、『デジモン』に至り携帯電子機器を販売することでモンスターとのコミュニケーションを提供するに転じ、またその玩具に添えられた対人バトル機能に特化したTCGを玩具販促計画の主流の一つにおくことで、モンスターを後景化させてバトルの向こう側――友達とのコミュニケーションの楽しさに着目させる戦略をとった、みたいな仮想戦記を妄想したりとかなんとか。
この仮想戦記に基づくと、ライブオンが1年間描いてきたことってまさに「その玩具を使って繋がる友達の輪」を軸とした主人公天尾翔のサクセスストーリー(最後は主人公の家で開かれた祝勝会にそれまでTCGで戦ってきた人がわんさか集まってくる)なんだけど、明らかに「打ち切られた」お話だからなーあんまりそこに拘泥して文章書くのもよくないなーとうじうじして、さらに文章を書く機会はどこかに行ってしまうのでした。